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第1426飛行班(だい1426ひこうはん、No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight RAF, nicknamed "the Rafwaffe")は、鹵獲した敵航空機の評価および、他の連合国部隊に対してこれら飛行機の飛行特性を披露することを目的として、第二次世界大戦中に編成されたイギリス空軍の飛行班である。また、王立航空研究所 ファーンボロー部門(Royal Aircraft Establishment:RAE)で任務に就いた数機も、この部隊で使用された。戦争期間中にファーンボローのRAE施設は、鹵獲したドイツ空軍機やイタリア空軍機の飛行試験に利用された。 枢軸側の不時着した多くの機体が、分析や試験、また他の捕獲機体を実働可能状態に維持するにあたっての補修部品を剥ぎ取るため、ファーンボローに運び込まれた。主要な飛行試験作業は実験飛行部空力飛行班(the Aerodynamics Flight of the Experimental Flying Department)と無線/電子機器飛行班(the Wireless & Electrical Flight:W&EF)で実施され、後者の機関は、戦争後期にはレーダー装置を装備した航空機の評価と試験を担当した。 == 歴史 == 第1426飛行班は1941年11月にダックスフォード空軍基地において、以前第41飛行団でテストパイロットの育成に当たっていた少人数のパイロット達により結成された。当初この部隊は2年前に英国側の手中に落ちたハインケル He111(''AW177'')、バトル・オブ・ブリテン期間中に鹵獲したメッサーシュミットBf109 (''AE479'')、ユンカース Ju 88 A-5 (''HM509'')を運用していた。Ju 88は当時は英国が入手した最新の機体で、この機の搭乗員は、夜間にイギリス側の保有するチブナー空軍基地を、ドイツ側の保有するフランスの飛行場と誤認し、着陸させたものであった。これは搭乗員が、ドイツ側のビーコンを真似て英軍の設置した欺瞞装置であるミーコン(Meacon)に騙され、航法を誤ったためであった〔Weal (2000), ''Ju 88 Kampf.'' p. 70.〕。この部隊には一般連絡任務と修理部品の収集用に1機のジェネラル・エアクラフト モノスパーも割り当てられていた。 この部隊の保有する航空機は、連合国軍兵士による鹵獲や、ドイツ軍パイロットの不時着/誤着/亡命といった様々な方法から、続々と英空軍の手に落ちた更なる機体のために入れ替わり続けた。鹵獲後これらは空戦研究部(Air Fighting Development Unit、ダックスフォード空軍基地 1940-1943年)に引き渡され、飛行隊に送られる前に広範囲な試験を実施された。数機は墜落で失われるか、損傷したものは他の機体の補修部品として部品取りに供された。その他の機体は更なる評価のためにアメリカ合衆国へ送られた。後に第1426飛行班はコリーウェストン空軍基地へ移動となった。 第1426飛行班は1945年1月17日にコリーウェストン空軍基地で部隊運用を停止され〔,〔The Rafwaffe , Peter Gosling, February 2003, ''Flight Journal''.〕、同日にタンメア空軍基地で部隊コードEA、中央飛行研究所(Central Fighter Establishment)内の「敵航空機飛行班」("Enemy Aircraft Flight")として再編された。この部隊は最終的に1945年12月に解隊された〔。 1955年12月に第7飛行隊が解隊されるとアデン「紛争」での偵察任務を実施するため、1956年1月1日にアデンのコメークザー空軍基地で「第1426(写真偵察)飛行班」として4名の搭乗員と乗機が分遣された。この部隊は1956年12月31日に解隊されたが、最後はアブロ リンカーンを爆撃機として運用していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第1426飛行班 (イギリス空軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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